ヨコイというベーシスト

ボーカルのケガニです。

松ノ葉楽団のベーシスト、ヨコイが東京へ転勤することになり、いったんバンド活動をお休みすることになりました。

東京なんて今の時代、そんなに遠くもないぜ。すぐにまた一緒に演奏できる。などと思いつつも、いろんな意味で一区切りになることは確かなのです。

せっかくなので、ヨコイについて書きます。

 

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2008年の冬、西部講堂で、僕らのバンドは始まった。確か何かのイベントの後だったのだと思う。人のあふれかえる西部講堂は、(当時まだおおっぴらに許されていた)アルコールの匂いが充満していた。当時僕は自分で作った曲を演奏するバンドをやろうと思っていて、たまたま近くで暇そうにしていた同学年のヨコイに声をかけた。たしかヨコイはふたつ返事で引き受けてくれたのだったと思う。その後、(これまた暇そうにしていた)トミーを誘って、われわれはスリーピースのロックバンドとして出発したのだった。

 

その後、さまざまなライブハウスに出演し、さまざまな人に出会った。そうしてバンドの形はどんどん変わっていった。季節は流れ、ヨコイは某チョコレート会社に就職が決まり、僕は大学に留まることになった。もちろんバンドの活動ペースは落ちる。歯がゆい思いもした。だが、この歯がゆい思いすらもみんなで共有してきたし、仕事にせよバンドにせよ、それぞれの優先したいものを優先してきたつもりだ。

音楽面での変化もあった。しっくりくるか、こないかだけが基準だったし、ジャンル的な意味で言えばロックバンドであることもやめてしまった。テレキャスをアコギに持ち替えたり、ベースをアップライトベースに持ち替えたりした。

いろいろあった。本当にバンドの経験する様々な困難や楽しさを経験したと思う。だが、何かあるたびにヨコイは一言、「オモロいやん」と背中を押してくれるのだった。ヨコイちゃんってどんな人、と訊かれることはなぜか多いのだけれど、基本的には竹を割ったような性格である。僕も人のこと言えたもんじゃないのかもしれないけれど、昔はパンクスか!と思うほどピリピリしてたし(当時彼女は「汁(エキス)」という謎のハードなバンドに一時期所属してたこともあった)、曲がったことが嫌いなところはこの先もずっと同じままだと思う。

ともかく、そういうやつだから、ここまで一緒にやってこれたのだろう。何にせよ彼女の意見には信頼を置いていたし、その意味で、ほんとうにヨコイはバンドの「ベース」だった。

そして、そういうやつだから、東京に行くのだと伝えられたときにも、よしわかった、とことん行けるとこまで行ってこい、と僕は心底思ったのだろう。もちろん僕は確信している。今後、ヨコイが本当に「行けるとこまで行く」のだということを。


何となくこっぱずかしいことを書いてしまった気がするけれど、この際よしとする。

けっこう時間が経ったんやなぁ。そうそう、いつの間にか「ヨコイ」は「ウチダ」になったのだ。まだこの呼び方には慣れないけども。呼び名なんて些細なことなのだろう。

この文章を、一人のベーシストに捧げます。