10周年コメント:ケガニ

10周年コメント、最後はケガニが担当させていただきます。バンドを始めたきっかけや、今にいたるまでのことを、ちょっと長くなりそうなので数回にわけて。自分語りほど「ださい」ものはないんだけど、10年間に10日くらいいいか、ということで。年末まで、詳しく書いてみようと思います。どうか、コタツミカンのお供に、ご笑覧くださいませ。

 

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10周年とは言うけれど、ほんとうは、どこから始まったのか見当もつかない。このバンドでやっていることの準備は、バンドを始めるはるか前からすでに自分の中にあったからだ。音楽を聴き始めたときからだとすれば、ピアノの教師であるうちの母親のピアノを聞いていた胎児のころにさかのぼることになるし、創作を始めたときからだとすれば、読書感想文を書くのが面白くなった小学校のころだということになるだろう。でも過去に思いをめぐらせば、おそらくは、と思う特別な時期があった。20年ちかく前、中学2年生の英語の授業だった。

 

ニシムロ先生という教育実習生のひとりが、英語の授業を3週間ほど受け持つことになった。身長はそれほど高くないが、前髪が長く、甘い顔立ちをした、いわゆるベビーフェイスな実習生だった。彼の授業自体はそれほど覚えていないが、生徒の受けはよかったように思う。覚えているのは、生真面目だが深いトーンの声をもつひとだったということくらいだ。

 

最後の授業、ニシムロ先生はアコースティック・ギターを持って教室に現れた。授業の題材は名前を聞いたことのない外国人の歌だった。歌詞が配られ、いつもと同じように文法や単語にチェックを入れる。でもやっぱり僕らは緊張感と静かな高揚をもって――最後の授業だということがわかっていたし、何より部屋の片隅にギターがあったから――、いつもと違う雰囲気のなか、授業に集中していた。

 

歌のストーリーは、「幼く死んだ息子への懺悔」だ。歌詞は「仮定法」という(中学生にはまだ)耳なじみのない文法でつづられていた。CDを聴くと、天国にいる息子の前で歌っているように聞こえてきます、と先生は言った。読解を終えた彼は、やおらギターを抱え、この曲を歌ってくれた。そう、それはエリック・クラプトンの「Tears in Heaven」だった。

 

 

Would you know my name, if I saw you in heaven ?

(もし天国で会ったら、きみは僕の名前を知っていてくれるだろうか)

Would it be the same, if I saw you in heaven ?

(もし天国で会ったら、僕らは前と同じでいられるだろうか)

I must be strong and carry on,

(僕はもっと強くなって、めげずにいなくちゃいけないね)

’Cause I know I don't belong here in heaven

(天国に、僕はいられないって知っているから)

  

実際に息子を亡くした歌い手によるそのセンチメンタルな歌は、思春期だったひとりの根暗な青年の胸を打ったのだろう。ブックオフでクラプトンのベスト盤CDを買いに行き、一曲目から歌詞をむさぼるように読んで、しまいには暗記しさえしたし、叔父さんにギターをもらってひたすら練習した。あの歌がうまく歌えるようになりたいという一心で。あの歌が歌えるようになったらもうギターをやめてしまってもいい、とさえ思っていた。簡単なヴァージョンの楽譜を買ってもらったが、なんとなく指使いが違うし、足りない音がたくさんあったから、CDを繰り返し聴いて自己流で足してみたりした。

 

でも、全然弾けなかった。同じにはならなかった。声もギターも違うし、何もかもが違って聴こえた。そうこうしているうち、青年はクラプトンを介してブルースという音楽と出会い、そのガラの悪さと奇妙なグルーヴにしびれることになるのだけれど、それはまた別の機会に書いてみようと思う。

 

 

今では、クラプトンを聴かなくなってしまったし、この文章のためにTears in Heavenを聴いたのもかなり久しぶりだ。でも、あのころと変わっていないこともある。いまだにあの青年は歌っているということ。そして、ちっともうまくギターが弾けないということだ。