10周年コメント:ケガニ2

昨日に引き続いて、ケガニが過去を振り返ります。今回は今までやったバンドについて思い出せる限り書いてみようと思います。こうしてみるとブレ幅がすごい。


 

①高校2年のときのバンド

バンドとひとくちに言っても、ベース、ドラム、ギター、ボーカルのような理想的なメンバー構成が簡単にそろうなんてことは、バンドブームの去ったあとに高校時代を迎えた僕たちにとっては、ありえないことだった。そもそも楽器をやってるやつが少数だし、やってたとしても、それはまず間違いなくギターかピアノ。やっとベースとドラムがそろったのは高校2年のときだ。

 

メンバーはたしか四人で、ドラムはいたりいなかったりしたが、ともかくスタジオに入って何度か練習した。オリジナルソングなんてもちろん書けないので、お互いの好きな曲をカバーした。楽器を選び、スコアを買って、コピーして配り、ライブ映像を入手してはみんなで集まって観た。最後にはみんな部活や勉強が忙しくなってフェードアウトしたけれど、その原因のひとつはいっちょまえに「音楽性の違い」だったのかもしれない。ベースが持ってきたのがGLAYの「Shutter Speedsのテーマ」、ボーカルが持ってきたのがL’Arc~en~Cielの「Ready Steady Go」、僕がもってきたのがビートルズの「A Hard Day’s Night」だったから。今考えると、いろいろやりようはあったかもしれない。でも本当は、最初の曲として当時好きだったWeezerの「Hash Pipe」とDinosaur Jr.の「Feel The Pain」という曲をもって行ったが、これはボツになっていた。(今聴いても最高)

 

 

②大学に入ってすぐのバンド

いつかバンドをしたいと言っていた友人がみんな同じ大学に合格したので、やることはひとつ、サークル選びだけだ。サークルでは新入生歓迎会が催されていて、それぞれいろいろ見に行ったのだが、気が付くと、ドラムのキウチというやつが「音楽が詳しい人が一番多かったから」という理由で後先考えずに決めてしまっていた。部員の愛想は(全員)なく、ひっきりなしに悪態をついているし、木造の部室はボロボロで、そこかしこにカップ酒やチューハイの缶が転がっていたのを見たとき、みんなですごく後悔した。

 

部員とあまり会話のないまま、それでも何度か練習して、最初のステージは部内向けライブだった。たしか、ハナレグミの「家族の風景」とか、細野晴臣の「恋は桃色」とかだったような。とくに誰からも感想ももらえずひっそりと終わった。びっくりするほど爽やかな性格のギター(ヨシイちゃん)だけがにこにこしていて、「写真を撮ろう」と言ったので部室の前で写真をとったのを覚えている。その後、彼は「浅井健一みたいなことをやりたい」と言ってバンドを辞め、結局解散した。

 

③ビッグバンド

それと前後して、僕はビッグバンドでトランペットを吹き始めていた。全然一貫性がないが、高校~浪人生時代Miles Davisの『Round About Midnight』をひたすら聴いていた僕は、トランペットという楽器の音に魅了されていたのだった。それで唯一「ジャズ」の看板をかかげていたサークルに行ってみると、その見学のときにやって見せてくれたのが、Phil Kelly And The NW Prevailing Windsの「The Refrigerator」。聴いていただければわかるのだが、これってジャズ?と思いながらも、大人数の管楽器の音圧に圧倒され、とても感動した。いろんなメロディと和音が絡み合っていくのが面白く、結果としてそのあと2年間みっちりビッグバンドをやることになる。この頃、おそらく初めてスウィングという言葉を知る。

 

 


とまあ、こういう調子でブレにブレていた音楽歴を背景にして組んだのがいまのバンドということになります。長々書いておりますが、次回はやっとバンド結成について。